Fukushima50を見た感想
久しぶりのブログ更新です。
Fukushima50,見終わりました。テレビも映画館も近くにないので見ていなかったのですが、amazon prime videoのラインナップに追加されていたのでようやく見ることができました。
さて、多少の演出はあるのかもしれませんが、現場、本店、地元、政府と各方面の振る舞い、思いが見える良い映画でした。どこまでが真実なのか、わかるすべはありません。そうした前提のもと映画の内容を基準として感想を記載していきます。あくまで個人の意見、感想です。
私も適切な判断・指示ができる人間になりたいと再認識しました。(涙腺がゆるくなったのか、最後のメールを送るシーンは涙なしに見られませんでした)
特に印象に残るのは以下です。
電力会社~本店~
今回の映画では現場に対し、政府からのあれこれに対して言いなりとなってかき乱していました。政府とやりあえる人間がいない、もしくはそうした組織にないことは非常に残念に感じました。忖度・・・。
また、映画では本店の技術サイドの動向があまり見えなかったように感じました(組織体制がわかっておらず恐縮ですが、指示を出す立場である本店にもそれなりに技術サイドの体制は整っているものと想定)。事前に両者の協議のうえで現場とのやり取りを行っていたのでしょうか。
こうした原子力の現場の緊張感は他の現場だと段違いだと思うのですが、感じるのは、トラブル時の本店サイドの信用です。本店担当者はかなりの技術力を持った方で、現場は一定程度信頼しており、本店技術サイドも含め協議した上での指示であればそれなりに本店の意見を尊重するものと思っておりました。情報伝達が時間軸的に同期し100%完璧とはいかないのは事実であり、ときには自分たちの判断が正しいという場面があるのも仕方のないことですが、お互い承知という感じです。それが、映画の中では的はずれな指示ばかりが現場に飛んでいるように見えました。
とはいえこれほどまでに緊迫した状況に置かれた場合にはどの現場でもヒートアップしてしまうかもしれません。
現場の意識の高さ
現場の皆さんの意識がとても高く、原子力発電所の一員として立派であり尊敬しました。それは、技術系のみならず事務系の方も含めてでした。言葉になりません。
この点は会社によって異なるかもしれませんが、正直言って技術屋と事務屋には大きな壁があると思っていました。私の周りでは、現場は最後には自分たちがやるしかないという意識を持っていますが、事務屋はどことなく他人事で、なんでもかんでも現場に押し付けようという姿勢が見えていました。
ですが、原子力発電所の現場では、技術屋はもちろんながら事務の方も一体となって非常時対応を行っており、象徴となっていたのが女性の総務の方でした。非常事態でできることが限られている中で、少しでも運転員のサポートとなるようトイレ掃除などを行っている様が印象的でした。
現場寄りな映画という点もあるかもしれませんが、皆が一体となってサポートをしてくれる現場は心強いですね。
政府の対応
私は政治側の目線、立場、しがらみなどがわからないうえ、あえて誇張して演じられていたのかもしれませんが、やはり総理の対応が際立っていました。リーダーとして緊急時に求められるのは、得られた情報からの的確な判断・指示です。それを現場に乗り込んでいったというのはいかがなものかと感じました。
また、原子力安全・保安院長が「技術的な話はわかりません」は情けなくなりました。的確な人間が的確なポストに、というのは政府のみならず広く日本企業一般的にもあるべき姿だと思います(普段の原子力安全・保安院長の業務を正しく理解していないのですが)。
映画では、米国も日本政府をあまり信用していないように見えました。現実はどうなのでしょうね。
地元の反応
避難所の皆さんの当直長への対応から、原子力発電所で働く皆さんと地元の信頼関係が感じられました。地域の皆様からの信頼を得るためのこれまでの積み重ねが感じられました。
私は避難所に入るシーンで、詰め寄られる姿を想像してしまっていました。またしても涙腺が・・・。
最後に
自分の立場もあり、色々と考えさせられました。ともあれ最後には胸を張れるように仕事をしていきたいと思います。
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