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教育による洗脳 日本人は自分や他人を責め過ぎ

日本人は、なんでも自己責任にしたがります。

学校という教育機関による洗脳の影響です。

しかし、すべてを自己責任で片付けることは、

自分や他人の行動を縛りつけ、精神安定上よくありません。

自分や他人を肯定すること、社会が助け合うゆとりを持つことが必要です。

自己責任にしたがる努力万能論

アリとキリギリスのような、努力をしない人間は

社会から切り捨てられてしまうという考え方です。

「低収入は、子供の時に努力をしなかったことが原因だ!」

「奨学金未返済になるぐらいなら大学に行くな!」

努力あるところに救いあり。努力万能論といったところ。

学校教育による洗脳

そもそも、努力万能論は学校教育が根幹にあります。

私がかつて受けた道徳の授業での議題はこのようなものでした。

とある道徳授業のテーマ

「努力をした結果テストの点数が悪かった人」と、

「努力をしなかったけどテストの点数が良かった人」は

どちらが評価されるのか。

洗脳済みの生徒の回答

そもそも、すでに洗脳済であった私達の大半は、

「努力をしたけど点数が悪かった人」を評価していました。

今思うと、目標に向かって進むことができることは大事なことですが、

一方で、求められたことに対して結果が良いことも大事です。

どちらの理屈も間違っているとは言い難く、

明確な答えを出すことができないようなテーマといえます。

学校の先生は

しかし、同級生で唯一、「努力をしなかったけど点数が良かった人」

に投票している人がいました。

勉強はともかく、テストで良い店取れたほうが良いじゃん!

と先生と議論していました。

結局、学校の先生は努力は大事なことなので、何事も努力しなさい

という結論に話をもっていっていましたが、

当時の私は、洗脳が解けたようにハッとさせられた記憶があります。

道徳の授業で唯一、有益だと感じた瞬間でした。

本当に努力は万能なのか

一方で、努力は万能でないことは皆、わかっています。

例えば子供の頃は野球選手になりたいと言っていた少年も、

年を取るにつれて現実を直視します。

「努力してもプロになれるのは一握りの人間だけなのだ」と。

努力で叶う夢もあれば、叶わない夢もあるということは

心の奥底では自覚しているのです。

話は逸れますが、そういった人は叶わなかった目標の根源を探ると良いです。

「プロになりたいのは野球が好きだから」であれば、

好きな野球に関わる仕事を志すのも良いでしょう。

人それぞれの多様な環境

努力をして成功した人は、「努力をすればなんとかなる」といいます。

しかし、それは自分一人が成功したという事例にすぎません。

人はそれぞれ多様な環境で生まれ育っており、

努力だけでカバーすべき範疇を超えた問題が多々あります。

それを自己責任の言葉で片付けるのは、自分や他人に厳しすぎるのです。

たまには世の中のせいにする

社会の多くの人が苦しむという問題は、自己責任の言葉で片付けられません。

本来は、「世の中がおかしい」「政治がおかしい」となるべきなのです。

たまに世の中のせいにすることは精神の安寧にも役に立つでしょう。

自分や他人を責めるのはとてもつらいことです。

貧困に苦しむ国ですが、なんとかゆとりを持って生きたいと思います。

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