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安全を安心に結びつけるために

安全を安心に結びつけるために

近年、安全とはなにか、安心とはなにかを考えさせられる機会が増えました。

自動車や製造業から飲食業まで、偽装が後を絶ちません。

自分の信頼がいとも簡単に裏切られる社会となってしまっています。

また、インターネットの登場等の影響で、世の中に情報が溢れています。

あらゆることを理解し、判断できる人間はもはや存在しません。

自分の知らない分野に対しては何を、誰を信じればよいのか。

そこで今回は、安全と安心の考え方について調べてみました。

安全を理解して過剰な不安をなくしていきましょう。

参考資料

文部科学省:安全・安心な社会の概念

第2章 安全・安心な社会の概念:文部科学省

安全とは

人とその共同体への損傷、ならびに人、組織、公共の所有物に損害がないと

客観的に判断されること

安心とは

知識・経験を通じて予測している状況と大きく異なる状況にならない

信じていること、自分が予想していないことは起きないと信じ

何かあったとしても受容できると信じていること

安心は安全の上に信頼が必要

参考資料から、安全と安心のイメージがつかめたかと思います。

安心は主観の上で成り立つものなので、どんなに安全を重ねても

安全を担保するものに信頼がなければ安心は生まれません。

安全が安心に結びつかない事例

例えば、「○○に認可されている商品です」となっている場合、

 ・○○の認可は本当に製品の安全性を示すのか

 ・この商品が本当に○○の認可を取ったものなのか

といった疑念が生じる可能性があります。

一般人に○○の認可の安全性を調べる能力がない場合、

第三者である専門機関が、ブラックボックスを安全であるか判断し、

一般人は、その判断を信じるかどうかで安心につながるわけです。

中立の第三者という立場の難しさ

安全を安心に結びつけることができるかどうかは

ブラックボックスの中身を保証するものの立場にも依存します

仮に、商品やサービスが実際に安全であるものだとしても、

安全を主張する専門機関と商品を販売する企業の間に

なんらかの利害関係があったり、専門機関に思想の偏りがあると、

一般人はその専門家を信用できなくなってしまいます。

人間、完全中立で社会との関係性から独立した立場を実現するのは

なかなか難しいと言わざるを得ません。

そこで、「多数の」「立場の違う専門家が時間や回数を重ねた

検証により安全を訴えることや、見解を示すことが重要となるわけです。

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